青空研究室

三ツ野陽介ブログ

哲学

中二病でも哲学がしたい!

最近、二冊の哲学入門書をAmazonで注文した。 『ソフィーの世界』と、池田晶子さんの『14歳からの哲学』。 新装版 ソフィーの世界 上 ―哲学者からの不思議な手紙 作者: ヨースタイン・ゴルデル 出版社/メーカー: NHK出版 発売日: 2012/07/31 メディア: Kindl…

人生の意味について僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

「人生の意味」とはどんな意味か 「自分の人生に意味はあるのか?」なんて考えたくなったときには、まずは「人生」の意味でなく、「人生の意味」の意味について考えなくちゃいけない。 つまり、「人生に意味はあるか?」という問いに答えるためには、まずは…

「こじらせ」と「俺萌え」〜本田透『喪男の哲学史』

私は思います。日夜想像します。人の視線や、世間の常識や、善悪の基準すら関係のない自由な世界で、どんなものにもとらわれず、好きな装いをし、気持ち良く深い呼吸をしている自分を。(『女の子よ銃を取れ』pp.6-7) 昨日のエントリーで紹介した雨宮まみさ…

歴史記述とデータベース

正しい歴史認識とは、「何年何月何日に、どこそこで、こんなことがありました」ということを、正確に認識することなのだろうか。あらゆる事実に関する、そのような知識の総体こそが、歴史なのだろうか。 アーサー・C・ダントーの『物語としての歴史ー歴史の…

恋する相手を自由に選ぶなんてできるのだろうか

「へえ、何を研究なさってるんですか」と初対面の人などに聞かれて、「テツガクです」と答えるのがいつも恥ずかしいのだが、「哲学?どんな?」と掘り下げられて、「ええ、まあ、自由について、とかですね」と答えるのも、さらなる羞恥プレイである。 「倫理…

運命とは自由を諦めることなのか

自由とは「そうしないこともできたはずだ」という後悔のことである。 中島義道さんの『後悔と自責の哲学』という本に出てくる、そんな考えについて前回、紹介した(自由とは後悔のことなのか〜中島義道『後悔と自責の哲学』 - 青空研究室)。 では、その後悔…

自由とは後悔のことなのか〜中島義道『後悔と自責の哲学』

「選択可能性と道徳的責任」と『後悔と自責の哲学』 前回の記事(こんな僕でも訳者になれた )では、『自由と行為の哲学』と題された共訳書のなかで、フランクファートという哲学者の「選択可能性と道徳的責任」という論文を翻訳したことがあるんですよ、と…

こんな僕でも訳者になれた

『自由と行為の哲学』について こんな僕にも、研究者らしく、訳書というものがあった。 『自由と行為の哲学』という本がそれである。もう四年前になるのか。 自由と行為の哲学 (現代哲学への招待Anthology) 作者: P.F.ストローソン,ピーター・ヴァンインワー…

遅刻しそうな曲がり角で転校生とぶつかったら、なぜ運命になるのか

いわゆるお約束 「やばいっ!遅刻しちゃうっ!」と、食パンくわえて飛び出した女の子が、曲がり角で同じ学校の制服を着た男の子と激突する。ドスン! 「いってえな!何すんだよ!」と怒鳴られた。朝からついてない。見たことない顔だったけど、うちの生徒だ…

これからの「謝罪」の話をしよう〜前の世代の過ちについて

国家は歴史上の過ちを謝罪すべきだろうか ハーバード大学マイケル・サンデル先生の『これからの「正義」の話をしよう』は、日本では何十万部も売れたそうだが、そこまで読みやすい本でもないから、最後まで読み通した人は、そんなに多くはなかろうと思う。 …

道徳的運の問題

STAP細胞が存在していれば小保方さんの研究不正は許されたのか。 革命がうまく行けばそのプロセスで人命を犠牲にしても許されるのか。 98年のワールドカップで岡田監督が勝っていればカズ、三浦カズを外したことは責められなかったのか。 昨日のエントリーで…

結果に対する道徳的な責任〜例えばカズを外した岡田監督と俊輔を外した岡田監督

STAP細胞が存在すれば許されたのか 小保方さん騒動に関して、 「STAP細胞が本当に存在するのかどうかが重要であって、論文での不正など些細なことではないか」 という意見の人が結構いる。 ああ、そういう考え方をする人も多いんだなあと思った。 それは、も…

幸せの互換性〜『黒子のバスケ』脅迫事件と人生格差問題(2)

前回のおさらい 昨日のエントリー(幸せの配り方〜『黒子のバスケ』脅迫事件と人生格差問題)では、「「カネ」「地位」「オンナ」「名誉」といったそれぞれの領域において、個別に格差を是正しなくても、それらのゲームが別々に行われて、こっちのゲームで勝…

哲学は世の中に必要か、哲学は社会の役に立つか

大学で勉強したことは、社会に出てから役に立たない、という意見がある。 確かに、例えば大学で西洋史を専門的に勉強しても、西洋史学者を目指さないならば、そこで勉強したことは、将来の飯のタネにはならないだろう。 まあ、文学部に属しているような学科…