青空研究室

三ツ野陽介ブログ

在日(というかニューカマー)の若者について知っている2、3の事柄

 明日(日付け的には今日)9月8日、在特会に近い団体の主催で「東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保」なるものが行われるらしい。

 僕は韓国の大学での二年間の教員生活で、在日の学生を教え子としてたくさん持った。彼ら彼女らのなかでも、特にこの「東京韓国学校」の出身者は多かった。だから今は、嫌韓デモの矛先がついに、僕の親しい人たちにも向けられ始めたような気がしているところである。

 そんな立場から、この件について少し書いてみたい。

 これまでもネット右翼系の嫌韓デモは、朝鮮学校無償化への反対を、主要な主張の一つにしてきた。これに対して、無償化に賛成する立場からは「韓国系の学校は援助をもらってるのに、どうして朝鮮学校はダメなんだ!」という反論も聞かれたわけだが、「いや、韓国学校だって許さーん!」と返す刀で斬ってきたのが、今回のデモということになるかと思う。

 僕は、韓国系・朝鮮系にかぎらず、外国人学校に対して日本の税金が投じられるべきなのかどうかについては、議論はあってもいいと思っている(韓国学校関係者のなかには、朝鮮学校無償化に反対してた人もいただろうし)。

 僕自身は「ケチケチせずに支援すればいいじゃねーか」と思っているけれど、「支援しなければならない」という法的根拠や国際的な慣例について、僕は無知ゆえ知らないし、僕同様に無知な人たちの、「日本じゃなくて、本国に支援してもらえばいいじゃんか」という直観が、そこまで悪逆無道なものだとは思わない。

 だから、無償化に反対しただけで、「差別」や「人権無視」といった言葉で「ネット右翼」を攻撃する「サヨク的」な言葉は、彼らの「嫌韓」感情を増幅する結果にしかなっていないと思う。あとは、「私たちみたいな良心的日本人もちゃんといるんですよ」という韓国向けのアピールにもなっていると思うが、それは本来の目的なんだろうか。

 そんなふうに考えて、「嫌韓デモ」の「ヘイトスピーチ」に対する「カウンターデモ」といった左翼側からの運動を、僕は少し冷めた目で見ていた。僕の知っている在日の学生たちが、嫌韓デモに対して冷めていて、興味なさそうに見えたという理由もある。

 ただ、今回の「東京韓国学校無償化撤廃デモ in 新大久保」については、前に述べた事情から身近な問題に感じられたので、僕も何かカウンター的なことを書いてみたくなった次第である。

  とはいえ、韓国学校無償化について、法律や国際的な慣例を云々して議論することは、僕の能力を超えている。というか、そんな議論は嫌韓デモに集まる人たちの能力も超えているだろう。彼らは、何か根拠を持った主張を行いたくてデモに集まるのではなく、隣国に対する反感を、ドギツい言葉で炸裂させたいだけだと思うので、根拠づけられた議論によってそれを打ち負かそうとしてもしょうがない。

 僕にはただ、僕が出会ったことのある「在日」の若者たちが、「ネット右翼」の憎悪を掻き立てる攻撃対象としてふさわしいとは、とても思えないので、そのことについて書こうと思う。


 さて、僕は韓国の大学の日本語学科で日本語教師として勤務していたのだが、クラスに在日の学生が何人もいることが最初は驚きだった。彼ら、彼女らは、日本からの「留学生」としてそこに座っていた。

「君たちは、高校まで日本で育ったとはいっても、誇り高い大韓民国の若者なのであって、母国の文化の素晴らしさ等々を学ぶために、大学は韓国にしたんじゃないの?それがどうして、わざわざ韓国に来て、日本語学科なわけ?日本語ぺらぺらの君たちが、僕の日本語会話の授業に出席されてもちょっと困るぜ、っていうか、この科目、君たちも必修なのかよ、マジか……」

 と僕は思った。
 思っただけじゃなくて、「どうして日本じゃなく韓国の大学にしたの?」とか、「どうして日本語学科にしたの?」とか、僕は在日の学生たちに、まるでアンケートみたいに、よく聞いていた。

 日本語学科を選択した理由は「楽だから」という以外の理由は無かろう。
 彼ら彼女らが韓国の大学に来たのは、「親に言われて仕方なく」とか、「日本の大学受験に失敗したから」とか、「帰国子女枠で楽に韓国の一流大学に入れるから」とか、だいたいが「残念な理由」だった。
 「韓国人として、祖国についてよく知らないのは恥ずかしいから」のような「立派な理由」を述べる者は少なかった。というか、そんなふうに言うのは、無理にタテマエを言わせた場合だけのような気がした。
 そして、彼らは「入試面接のときに「独島はどちらの領土か」と聞かれてビックリした」なんてことを言う。まあ「韓国の領土です」と答えたんだと思うが、だからといって、それを誰が責められるだろう?

 ところで、ここまで彼らのことを「在日」と書いてきたが、彼らのほとんどは「親の仕事の都合で、生まれてすぐに日本に行って、日本で育ったんです」というような、言ってみれば1.5世や2世の「ニューカマー」の在日韓国人だった。

 いわゆる「在日」という日本語から連想される在日3世、4世といった、戦前に日本に渡ってきた家系に育った在日コリアンとの出会いは、韓国生活において非常に少なかった。おそらく、「韓国の大学に行こう」という学生や、「韓国の大学に行け」という親が、三世、四世になると減っていくのだと思う。件の東京韓国学校という学校も「主に日本に駐在するニューカマーの韓国人ビジネスマンの子弟が通う学校で、在日韓国人の割合は低い」そうである。

 ただ、彼ら彼女ら自身は、僕と初対面のとき、「オレ在日なんすよ」「あたし、在日なんで」という言葉で、自分が日本語ペラペラな理由を説明していた。

「いわゆる『在日』というのは、戦前に様々な事情で日本に渡ってきた人たちやその子孫を言うのであり、君らみたいな事情で日本で育った韓国人のことは、『ニューカマー』と呼んだりするらしいが……」などと、僕が講釈を垂れると、彼らはたいていキョトンとしていた。そんな理由もあって、以下の記述でも、「在日」と「ニューカマー」を特に区別しない。


 僕は授業のなかで、「将来は、自分の生い立ちをふまえて、日韓の架け橋になれるような職業につきたい」なんていう模範解答を期待しながら、学生たちに、将来の夢について話させたり、書かせたりしたこともあったかもしれない。僕の考えを察したのか、そんな模範解答をよこしてくる子もいた。

 しかし、あの子たちの本当の願いは、「日韓の架け橋」とか「アイデンティティはどっち?」とか、もうどうでもいいから、ただ、他の若者たちと同じように、普通に幸せに、生きていきたい、できれば住み慣れた日本で、っていうことだったんじゃないかと思う。

 一般的に言って、韓国の若者は政治への関心が高いものだけれど、日本で育った彼らのほとんどは、政治に無関心な「日本の若者」だった。「反日」とか「親日」とかいう以前に、「ノンポリ」という言葉がいちばんしっくり来るような、そんな若者たちだった。

 「授業で発表するテーマが決まらなくて迷っている」という在日の学生に、ずばり「ネット右翼嫌韓デモ」という題材はどう?関心はないの?と促してみたこともあったけど、全然興味なさそうだった。

 「在日」というと、政治的な発言を盛んに行う人たち、というイメージが強いのではないかと思う。メディアに登場する「在日」が、たいていそういう人たちだからだろう(と言うか、メディアには他にも多数の在日が登場しているのだろうが、彼らは日本名で芸能活動してたり帰化していたりするわけで…)。しかし、僕のなかの在日の若者のイメージは、「外国人参政権」なんていうものが与えられたとしても、めんどくさがって選挙なんか行かなさそうな、「日本の若者」のイメージと変わらないものとなった。


 「在日韓国人は、日本社会と韓国社会の狭間にいる境界的な存在である」というのが、在日韓国人についての一般的な考えであるかと思う。左翼的立場から言えば、このような境界的な存在は、日本人のアイデンティティを相対化し、多様化をもたらしてくれるポジティブなものと見なされる。逆に右派の目には、日本の同一性を揺さぶろうとする邪魔者として映る。

 しかし僕は、在日韓国人は、二つの社会の狭間にいる存在ではなくて、ただの日本社会の一員なんだと思う。つまり、韓国社会の一員ではないのだ。

 もちろん、現実に彼らが韓国籍を持っている以上、彼らが韓国国民の一員であることに間違いはないのだから、僕のこの主張は誤りである(彼らニューカマーの学生のなかには、兵役免除の条件が満たせなくて、軍隊行かなきゃいけない学生もいた)。しかし、たとえ誤りであろうと、彼らは韓国社会の一員ではなく、日本社会の一員であると言ったほうが、僕が目で見て肌で感じてきた実感には近いんだから、そう言ってしまう。

 こういうことを言うと、「私自身、在日だけどそうは考えない」という当事者からの反論があるかもしれない。

 実際に、メディアで発言する在日の知識人は「【韓国人】や【日本人】ではなく【在日】というアイデンティティで生きていきたい」ということを言う。サッカー日本代表としても活躍した李忠成選手も「日本人、韓国人ではなく、アジア人として頑張りたい」という主旨の発言をしたことがあった。

 だから「在日」というと、そのような発言をする人、自分を境界的存在として位置づける人、というイメージがある。そんなイメージが、右翼から攻撃を受けたりもする。しかしそれは、パブリックな場での発言としてはそうなるというだけで、プライベートな生活の場面では、彼らはただ日本社会の一員であるだけではないかと思う。

 例えば僕は韓国で、在日の学生と話していて、「先生、韓国生活はどうですか?」なんて話になったとき、彼ら彼女らが「あっち側」ではなく、「こっち側」で話しているのをいつも感じていた。

 つまり、彼らは韓国社会の一員としての立場から、「韓国の生活は大変なことも多いでしょう?先生」と僕に同情しているのではなく、同じ日本社会の一員として「韓国生活って、大変っすよねー、先生。色々と不便でさ」と僕に共感を求め、愚痴っているみたいだったのだ。

 そんな感覚は、彼らにしてみたら当然のことであり、僕がそこに若干の違和感を覚えていたと知ったら、彼らは驚くかもしれない。

 韓国で教師生活を始めたばかりの頃は、「先生、来週ちょっと日本に帰る用事があるので、授業休んでもいいですか」と在日の学生に言われただけで、「ああ、韓国人なのに、日本に「帰る」という言葉を使うんだなあ」と、戸惑っていたぐらいだった。じきに何も感じなくなったけど。

 二年間の韓国での教師生活で「日本に帰りたい」という言葉を、彼ら彼女らから、よく聞いた気がする。

 他にも色々とエピソードはある。

 例えば、いわゆる「普通の韓国人」、つまり韓国生まれの学生たちと一緒に飲もうと約束をして、「先生、日本人の友達も一人連れて行きますけど、いいですか?」と言われる。そして、待ち合わせ場所に現れたその「日本人の友達」っていうのは、李さんや朴さんという在日の学生だったりする。そんなこともよくあった。「普通の韓国人」の学生には、この子たちが「日本人」に見えるんだなと思った。

 話を最初に戻そう。
 「東京韓国学校無償化」についても、ただ、それが、日本社会の一員である若者を育てている、東京にある学校の一つだから、日本の税金で支援するのだと考えればいいんじゃないか。

 制度論のことは知らないが、それが僕の実感だ。

 もちろん彼ら彼女らは、スポーツではちゃんと韓国を応援するし、無理に作文の課題を与えれば、めんどくさそうに出してきた作文には、いわゆる「反日」的なことが書いてあったりする。

 でも、生活の現実のなかでは、そんなのは些細なことじゃないだろうか。

 僕自身、面倒な教師だったので、韓国の大学で在日の学生たちと思いがけず出会い、この学生たちを「日韓の架け橋」になれる人材として育成しなくちゃいけない、なんていう押しつけがましい教育方針を抱いたこともあった。

 しかし、今となってはそんなことはどうでもいい。ただ、あの子たちが、どこであれ、自分の暮らしやすい幸せな場所を、見つけてくれることを祈るのみである。

 そして日本という国は、あの子たちが「早く帰りたい」と、思わず恋しく思ってしまうような、そんな国でありつづけなければいけないと思う。

 あなたは、そうは思わないだろうか。

 

=====

(追記)後日、この記事を補足するエントリーを書きました。

二年過ごした僕なりの、右でも左でもない韓国観 - 青空研究室