ワークショップとファシリテーター〜韓国で日本語会話教師をつとめて
韓国での二年間の日本語教師生活を終えて
今月から毎週末、青山学院大学のワークショップデザイナー育成プログラムという、社会人向けプログラムに、授業料を払って通っている。
僕は、2011年の秋から韓国の大学で二年間、日本語会話の先生の仕事をして帰ってきたところなのだが、その経験を今後どう活かしていくかなあ…と考えた結果が、とりあえず青山学院のソレに行ってみるという選択だったのだ。
以下、そのへんの考えを少し詳しく書いてみよう。
「会話の授業」って何なのか
さて、「韓国で日本語を教えていました」と言っても、韓国語を話せるわけでもない僕が、韓国の学生を相手にどのように日本語を教えていたのか、いったい授業で何をやっていたのか、なかなか想像しにくいと思う。
「外国で日本語をどうやって教えているのか興味があるので、授業を聴講してもよろしいでしょうか?」と、日本人留学生が、僕の教室を訪れてくることもよくあった。
実際には僕が韓国でやっていた仕事は「日本語を教える」というのと少し違うものだった。「教える」のではなく、「日本語会話のための空間を作る」「学生たちに会話の場を提供する」ということが僕の仕事なのだと、試行錯誤のすえ考えるようになった。これは教師というよりは、カフェやバーのマスターに近い仕事なのかなと思いながら、やっていた。
もちろん、授業中には、
「先生!「のんびりする」の意味は何ですか?」といった質問も受けるわけで、
「家でのんびりするっていうのは、ほら、ゴロゴロしたり、ダラダラしたり……」と教えようとするわけだが、
「ありゃ、ゴロゴロとかダラダラの意味のほうが、もっと分からないか……」と、もどかしい思いをすることも多いのである。
実際には、こういうのは僕なんかが教えるよりも、学生たちが手元の辞書を調べたほうが早いわけで、韓国語には、ゴロゴロやダラダラに相当する擬態語として、「ディングル ディングル(딩굴딩굴)」という、なかなかユーモラスな語感を持った単語もあるそうだ。
このように、日本語教師がネイティブでなければならない理由はあまり無い。それに、前にも書いたように、あちらの大学には在日の学生を筆頭に、日本語ペラペラな子が多かったから「日本語を教える」仕事はさほど残されていない教室が多かった。
そんなわけで、二年生以上のクラスでは「もうワシから教えることは無い」と言いたくなる。「あとは実戦の場数を踏むのみじゃ」と。だったら、その「実戦」の場を作るのが、僕の仕事ということになる。
日本語会話とワークショップ
でも、それはけっこう難しい仕事だった。例えば、
「それでは皆さん、4人ずつのグループに分かれて、日本文化と韓国文化の違いについて、今から15分間で日本語で話し合ってまとめてしみましょう。はい、スタート!」
…などと言っても、これは「無茶ぶり」というものである。韓国の学生は、日本の学生と同じようにシャイだから、そんなふうに丸投げしても、いきなり活発な話し合いが発生するわけではない。
そこで活発なコミュニケーションの場と空気を作るためには、様々なテクニックが必要になるわけだが、僕がそんなテクニックに長けているはずが無いので、色々な本を読んで勉強するようになった。そこで僕が出会ったのが「ワークショップ」というものだったというわけ。
韓国で日本語教師を始めた当初は、日本語文法の分厚い本なんかを読まなきゃいけないと思って持っていたのだが、しばらく経つとそんな本は放り出して、僕は次第に「ワークショップ」や「ファシリテーション」をテーマにした本を参考にして、授業を作っていくようになった。
ファシリテーターにオレはなる?
ファシリテーションというのは、ワークショップを企画、運営、進行することで、それをやる人をファシリテーターとかワークショップデザイナーとか言う。
ワークショップとは何かを説明するのは難しい。だから曖昧な説明になるが、言語的、身体的な、様々なコミュニケーションの場を作り出して、そこで何らかの体験を得るのがワークショップだ。
僕はもともと「話し合いの技術」としてワークショップを捉えて、興味を持ったわけだが、演劇のワークショップとか、ダンスのワークショップとか、色々なワークショップがある。
僕が通い始めた、その青山学院のプログラムにはいろんなひとがいるけど、企業研修に使えるんじゃないかという動機で、参加されているかたも多い。
僕はと言えば、日本に帰ってきて、日本語教育のほうは、いちおう廃業にするつもりなのだが、韓国で実践していた日本語会話のワークショップの真似事みたいなものを、もっと洗練させていけば、例えば哲学的な問いについて、その場で集まったみんなで話し合ってみるというような、「哲学のワークショップ」なんかができるんじゃないか、と考えたりもしている。
空間を白熱させるために
すでに大学や学会などでは、「哲学ワークショップ」と題して、イベントが開かれることも多い。しかし、そこで実際にやっているのは、パネルディスカッションのようなものが主で、登壇者と聴衆とのあいだ、聴衆同士のあいだに双方向的なコミュニケーションが活発に生じるようなイベントは少ないはずである。
マイケル・サンデルの「白熱教室」を見て、あんなふうに教室を白熱させられれば良いよなあ、だけど難しいよなあ、と思った教師は多いはずである。
でも、あんな大講堂じゃなく、空間をもう少し小規模にすれば、サンデルのような偉い先生じゃなくても、ハーバード大学じゃなくても、教室を白熱させるノウハウみたいなものはあるんじゃないか、それがワークショップなんじゃないかと思っている。
日韓関係の「納得解」
あとはまあ、僕が最近、興味津々である日韓関係についても、ワークショップができたらいいよね。日本人と韓国人に集まってもらって。
それもよくあるような、K-POP、韓流のファンが、韓国の人と仲良くする交流会みたいなものじゃなくて、ごりごりのネット右翼みたいな日本人と、反日感情が強い韓国人が顔を合わせるワークショップだったら、もっといい。
ワークショップというのは、どちらが言ってることが正しいのか、白黒ハッキリしようというディベートの技術ではなくて、お互いに相手の立場を理解し、納得し、冷たい氷をとかすためのものだから。