青空研究室

三ツ野陽介ブログ

優しい男の男尊女卑〜STAP細胞・小保方さん騒動を考える

 STAP細胞の小保方さんについて、岡田斗司夫さんがこんなことを言っていた。少し長いけどコピペします。

小保方さんについてアレコレ言ってる人の「言いぐさ」はみっともないと思います。
専門家であれ、マスコミの偉い人であれ、同じです。

フィギュアスケートの国際舞台で女の子が失敗したことをアレコレ言った政治家が叩かれました。
叩かれてしかたない、と僕は思いました。
「女の子に対して、思いやりのない発言」だったからです。

同様に、科学論文で女の子の発表にミスがあったなら、僕は同じだと思いました。
僕にとって、この問題は「科学者」じゃなくて「女の子」問題です。
男尊女卑と思われて結構。
僕は基本的に男尊女卑です。
つまり「女子は弱いから守ろうよ」です。

真相がどうか、よりも「いかに彼女を守るか?」をまず考えるべきじゃないの?
科学の信頼性なんかよりも、ずっと「人間の品性」のほうが大事だと思うけどな。

岡田 斗司夫 - いまのうちに言っておくことにします。 「STAP細胞騒動」について。...

 「メダル確実!」と持ち上げられていたアスリートが本番でミスして叩かれることと、「ノーベル賞級の発見!」と持ち上げられた研究者の捏造がバレて叩かれるのは、同じ手のひら返しでも、まったく種類の異なる話だと思うのだが、それはまあいい。

 僕もこの問題を「女の子」問題として考えてみたいと思う。

  この問題では小林よしのりさんも、同じ主張をしているようなので、これもまたコピペしてしまう。

小保方さんが男なら、世間はこの時点で本人に説明責任を強硬に求めるだろうし、出てこないとなれば、どえらいバッシングが巻き起こる。
女だからショックで人前に出て来れる状態ではないと言い訳できるが、男だったら、そういう言い訳は絶対に許されない。
小保方さんは好感を持たざるを得ない可愛い顔をしてるから、なおさら責めちゃ可哀そうと思ってしまう。
実はわしも可愛いから責めないであげてほしいと思っている。
これってAKBも同じことで、女だから、しかも可愛いから、あらゆる不祥事が許されてしまうのだ。
女の嘘も不祥事も、許してやるのが男の器量だと思われている。
わしも、どうしても可愛い女には「騙されてやろう」と思ってしまう。
だが本当はこの感覚は「男尊女卑」に他ならない。
「男女平等」なら男の嘘やミスも、女の嘘やミスも、等しく責められなければならない。
女も都合が悪くなると、男の器量に期待してしまうが、それは女が自らを男より下等扱いしていることに他ならない。
科学の世界でも、芸能界の世界でも、言論の世界でも、政治の世界でも、社会一般でも、女は男の甘さに依存している。
フェミニズムの方々は、全然変わらぬこの女の「差別」を重宝する状況をどう思っているのだろうか?

小保方さん、女への差別に依存して可愛い 

 ここで岡田斗司夫小林よしのり両氏が共有している前提は、「女に対する男の優しさ」の根底には「男尊女卑」があるという認識である。

 僕もこれは否定できないのではないかと思う。

 「優しさ」とは何か?

 この概念を分析してみると、それが上下関係や権力関係と切り離せないことが分かる。

 例えば「生徒に優しい先生」「子供に優しい親」「後輩に優しい先輩」などの用例を見れば分かるように、優しさというものは、立場が上の者が下の者に対して示す態度なのである。

 逆に「先輩に優しい後輩」という言い方は原則としては成り立たないし、それが成り立つレアケースにおいては、立場の逆転が起きているのである(先輩をちょっと馬鹿にしている場合など)。

 だから、「女に対する男の優しさ」が成立するためには、男が女よりも上の立場にいるという前提を必要とする。

 その一方で、友情というものは、対等な人間関係において成り立つものである。だから、同性の友人を評価するにあたって、「あいつは優しいやつだよ」なんて男は言わない。「あいつはバカだけど、いいヤツだよ」とか言うのである。

 同性の友達が優しくしてくれるのは、本人が相当に弱っている状況において、一時的な上下関係が生じている場合に限られる。どんなに親友であっても、友人に優しさを求めるのは、一生のうちに何回かしか使えないようなお助けカードなのである。男同士の友情関係には、「強敵」と書いて「とも」と読む競争関係が潜在しているだ(女同士のことはよく分からん)。

 かくして、「好きな男性のタイプは、優しい人」とか言っちゃう女の子は、男尊女卑の男を求めていることになる。

 そして、「あの人は「いい人」なんだけど、男としての魅力を感じないんだよねえ」などと女性から評価されてしまう男には、おそらく男尊女卑の精神が足りないのである。

 女から見た「ただのいい人」は、男から見ると「いいヤツ」なのであるが。

 逆に、男の前で「弱い女子」を演じる女は、同性からは「嫌な女」と言われる。

 しかし、男はそのような「弱い女子」に対して「男の優しさ」を発揮するだろう。そして、「強い女」に対しては、「お前っていいヤツだよなあ」などと言って、男女平等に、同性の友人に接するように扱うのである。

 ところで、僕もまた「女の弱さ」や「男の優しさ」といったものを否定しない。しかしそれは、プライベートな男女関係において発揮されればよいものであり、公的な空間に持ち込まれるべきものではないと考える。

 小保方さん騒動において問題なのは、そういった性的な上下関係が、科学という男女平等をルールとするパブリックな空間に持ち込まれようとしていることである。それを持ち込むことによって何が起きるかというと、科学の信頼が揺らぐだけでなく、セクシャルハラスメントアカデミックハラスメントといった問題も起きるのだ。

 それゆえ、小保方さんは、なんちゃらかんちゃらのユニットリーダーというパブリックな立場としては、男女平等の厳正な処分を受ければ良いのであり、その後、傷ついた弱い女子をケアするのは、プライベートにおいて彼女のそばにいる、男尊女卑の優しい男の役割なのである。