青空研究室

三ツ野陽介ブログ

運命とは自由を諦めることなのか

 自由とは「そうしないこともできたはずだ」という後悔のことである。

 中島義道さんの『後悔と自責の哲学』という本に出てくる、そんな考えについて前回、紹介した(自由とは後悔のことなのか〜中島義道『後悔と自責の哲学』 - 青空研究室)。

 では、その後悔から逃れる方法はあるのだろうか。今回はそれについて、少し書いてみる。

後悔と運命

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 後悔が自由の別名であるならば、自由を否定することによって、その後悔から逃れることができそうである。

 つまり、「そうしないこともできたはずだ」という自由を否定して、「ああするしかなかったんだ」と考えようとする。「もう後悔しない」というのは、そういうことだろう。

 例えば、過去の恋愛について、あのとき、あの子に告白していれば、うまくいっただろうにな、と後悔しているとする。One more time, One more chanceである。

 そういうふうに後悔しているとき僕は、過去に遡って「あのとき告白することだってできた」という自由が、その時点の自分に存在していたと見なしているわけだ。

 しかし、そんな選択可能性は、そもそも無かったのではないか。

 つまり、「あのときの自分には勇気がなくて、告白なんて無理だったよね」と認めることで、僕たちは過去を悔いることをやめる。自由を否定して、運命を受け入れるのだ。やっぱりあの子とは結ばれない運命だったんだと。

(個人的には、女の子を口説くのに「好きです、付き合って下さい」と告白するのは拙いやり方だと考えるに至っているのだが、今そういう話はいいんです)。

前向きの運命と後ろ向きの運命

 前回の記事では、自由には、前向きの自由と後ろ向きの自由の二種類がある、と論じてみた。

 この前向き、後ろ向きというのは、ポジティブ、ネガティブという意味じゃなく、未来についての自由なのか、過去についての自由なのか、という時間軸の話である。つまり「未来は自分の意志で変えられる」という前向きの自由と、「過去のあのとき、別のやりようもあったんじゃないか」という後ろ向きの自由である。

 これと同様に、運命にも二種類あると言える。

 「今さら過去を変えられないし運命だったと思うしかないね」という後ろ向きの運命論と、「未来はどうせ運命によって決まってるんだから、今から何かやろうとしたって意味ないよね」という前向きの運命論である。

 この場合、自由の場合と違って、後ろ向きの運命論のほうがむしろ、ポジティブな考え方になっている。

 つまり、肯定的に生きていこうと思ったら、 過去については運命論を受け入れ(自由を否定し)、未来については運命論を拒否する(自由を擁護する)という、ある種のダブルスタンダードを採用するのが、いちばん良いわけだ。

 問題は、そういうご都合主義はアリなのかということである。過去について運命論を採用するなら未来についてもそう考えなければならないし、未来について自由を主張するなら、過去についても後悔し続けなければならない。そういう立場の一貫性が求められるのかというのが問題だ。

 これはまた別の機会に詳しく書こうと思うけど、過去について運命論を受け入れ、未来については自由を擁護するという考え方は、ダブルスタンダードどころか、ある意味では、論理的に正しいのではないか、というのが僕の考えである。

後悔と自責の哲学 (河出文庫 な 24-1)

後悔と自責の哲学 (河出文庫 な 24-1)

 
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