青空研究室

三ツ野陽介ブログ

インターネットにおける実名の問題

僕が実名で書ける理由

 10年か、それ以上前の僕は、「いまの自分はこんなんだけど、将来まったく違う人間に生まれ変わって、この自分を恥ずかしく思うときが来るかもしれない」という感覚を持って生きていた。

 例えば、10年かそれ以上前の自分と言えば、モーニング娘。が好きだったのだが、「モーヲタだった」ということが将来、自分にとって消してしまいたい「黒歴史」になるかもしれない、という感覚をどこかで持っていたわけだ。

 でも、年を重ねるにつれてそれが、「ああ、自分は一生こんな感じで生きていくんだろうなあ」という感覚に変わっていった。「黒歴史」になるかもしれないと思っていたものは、結局、僕の人生の本体だったのだ。

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 僕が実名晒しながら「今は乃木坂46が好き」とか書けるのは、何気にすごいことだと思うのだが、そんなことができるのは、「自分は一生こんな感じで生きていくんだろうな」という覚悟があるからだろう。

 それは別に「死ぬまでアイドルを愛し続けるぞ」というキモい覚悟ではなく、そんなものに興味がなくなることも十分ありうるけど、将来たとえそうなったとしても、「あの頃の自分は、本当の自分じゃなかった。消してしまいたい黒歴史だ」なんていうふうには思わないだろうな、という意味での「覚悟」だ。

 覚悟と言えばカッコ良いけど、これは諦めでもある。残念ながら僕は、真面目な顔して威厳を備えた大哲学者なんかにはならないし、なれないということだ。

 要するに、「良くも悪くもこれが本当の自分だ」と思いながら、文章を書いているのである。

ネット上では実名であるべきか

 「ネット上の発言は実名であるべきか」ということが、しばしば論争になる。「匿名の連中は卑怯だ」と不平を述べる人がいるけれど、僕は共感できない。すべての人に、僕が持っているような覚悟や諦めを要求するのは、とてもできない相談だろう。

 とてもできない相談だと思っていたのだが、Facebookというものが登場し、多くの人が実名晒しながら、プライベートを露出したり、個人的な見解を披瀝するようになったことには、今でも衝撃を受ける。

 例えば去年、バイト先での悪ふざけ写真をネットに載せて炎上する若いもんが問題になったわけだが、あれは悪ふざけそのものよりも、実名晒してそういうことをする、というのが驚きだった。

 ああいうことがあると、2ちゃんねるの名無しさんなどは決まって「あーあ、こいつもう就職できねえぞwww」という反応をする。

 確かに、就職というものは、それまで生きてきた人生が黒歴史に変わる「変身」の瞬間になりうる。そういう変身をまだ残している状態では、「若気の至り」が後の人生に容易に接続されないように、なるべく慎重に生きたほうがいい、というのは一つの処世術ではあろう。

ネット上の実名と働き方の問題

 一方で、社会人でも実名でブログなどをやっている人もいるが、それはだいたいフリーランスや会社経営者のようなタイプの人たちだ。

 結局のところ、日本のインターネットにおける実名、匿名の問題というのは、就職の問題、会社勤めの問題なのだろう。

 上で述べたような僕自身の「覚悟」や「諦め」も、「あーあ、今さら一般企業に就職して、普通の人生送るっていうのは、さすがにもう無くなったな」という覚悟や諦めでもあったと思われる。

 これから時代が変わって、日本人の働き方が変わっていくにしたがって、インターネットにおける実名の取り扱い方もまた、変わっていくのかもしれない。