青空研究室

三ツ野陽介ブログ

ワイ大学非常勤講師、初回の授業を終えた結果

 学生たちのリアクションの薄さに、やや戸惑い気味の模様。

 ああ、韓国の大学にいたときには、随分と学生達にチヤホヤしてもらってたんだなあ、と思いましたね。今さらながらカムサハムニダですよ。

 もっとも、韓国の大学では20人以下の少人数クラスで日本語会話の授業を担当していたわけで、100人を相手に一方的に講義する今回とは全然条件が違いましたけど。

 韓国では…何だろう…「会話のお兄さん」みたいな感じだったと思われるが、今日は教壇から学生たちまでの距離を感じたし、こちらの覇気で100人全体を制圧するには至っていない感じ。

 別に学生達の授業態度が特別悪いわけではないし、「何か質問がありますか?」と振ったら手が挙がるなんて期待もしてなかったんですが、こちらから見てると、講義を聞いている学生達の顔が無表情なのがちょっと気になった。

  ギャグというほどのものでもないのだが、講義のなかで、ちょいちょい「崩し」のような言葉を挟んで、こっちから学生たちのほうに歩み寄っていくわけです。でも、まだ向こうは引いちゃってる。何か反応がもらえるかなと思ったそのタイミングで、静まりかえっている。別にドッと笑いが取れると思っているわけではないんですが、ちょっとニヤリとするとか、学生達の表情に変化が現れてもいいと思うのだが、そういう反応もなくて。

 これが韓国の大学にいたときは、「日本語で「ストライクゾーンが広い」というフレーズには、二つの意味がありまして〜」とか、ちょっとヘンな日本語を教えたりするだけで、良好なリアクションが得られたものですが。

 やはり、ああいう、1対100のコミュニケーションというものは、とても特殊なものだなと思いましたね。これが、20人ぐらいのクラスだったら、授業の最初に名前を呼んで出席を取ることで、教室内の空間を掌握するみたいな感覚があったのですが。

 日本人の僕からすると、音の響きにフックが乏しい韓国人の名前を覚えるのは、とても大変でしたが、それでも頑張って、学生の名前をだんだん覚えることで、顔の見えるコミュニケーションが成立していったような気がする。

 それが今日、あそこで講義した感じだと、いったい何者にむかって話しかけているのか、手応えがない。「視聴者」を相手にするような感覚でした。

 大人数での一斉授業という講義スタイルは、大学教育において消えていく運命にあると思うし、変わっていかなければならないというのが僕の持論なんですが、とりあえずそんなことも言ってられないので、この形式でできるうまいやり方を考えていかなきゃいけない。

 僕がやらなくても、出席取ってくれるシステムがあるんですが、とりあえず次回だけでも100人全員の名前を呼んで、出席取ってみることから始めようかなと思いました。

 来週の授業では、世界史を自由の発展として捉えたヘーゲルの歴史哲学について講義するなんていう予定だったのですが、初っぱなからそんな話をして、つかみとしてどうなのかと思い始めたので、授業計画も、さっそく変更するかもしれません。

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 ところで、千葉県は房総半島のかなり先の方まで通うわけですが。

 帰りの電車を一本逃したら、次の上り電車が来るのが、一時間後で。

 漁業の町ですから、かつおの刺身を食べてから帰りました。1000円。