青空研究室

三ツ野陽介ブログ

歴史記述とデータベース

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 正しい歴史認識とは、「何年何月何日に、どこそこで、こんなことがありました」ということを、正確に認識することなのだろうか。あらゆる事実に関する、そのような知識の総体こそが、歴史なのだろうか。

 アーサー・C・ダントーの『物語としての歴史ー歴史の分析哲学』は、そういうことを問題にした哲学書である。

 それで、この本のなかに「理想的編年史家」というたとえ話が出てくる。

  ここで言う編年史とは、いわゆるクロニクルというやつで、例えば、歴史的英雄の生涯を描いた物語といったものとは対極にあるような、サバサバとした歴史の語り方である。つまり、編年史家は「何年何月何日に、どこそこで、こんなことがありました」という年表を淡々と列記していく。

理想的編年史家という能力者

 哲学者ダントーが、SF的な思考実験として考案した「理想的編年史家」というのは、そういう歴史記述を完璧にやってのけるような歴史家である。この編年史家は、人々の心の中の動きをも含む、世界中のあらゆる出来事を、起こった瞬間にそのまま記述することができる、超人的な能力者なのである。

 ここでダントーが問題にしたのは、この神のごとき視点と速記能力を備えた能力者が、すでに完全な編年史を書いているとして、まだ生身の歴史家に残された仕事は残っているのだろうかという問いである。

物語としての歴史―歴史の分析哲学

物語としての歴史―歴史の分析哲学

 

 素朴に考えると、歴史家の仕事というのものは、今や直接見ることができない過去の世界の出来事を、なるべく正確に「見てきたかのように」記述することのように思える。もしも、これまで人間が書いた歴史書と、理想的編年史を読み比べることができるなら、前者には欠落があったり、虚偽があったりするだろう。それをなるべく加筆修正して、理想的なクロニクルに近づけていくことが、歴史家の仕事であると。そう考えられがちなのである。

 しかし、そうではない、とダントーは言う。そもそも、理想的編年史は完全ではない。

史記述における物語文

 ダントーが出した例文は「三十年戦争は一六一八年に始まった」という文章で、この文は一六一八年の時点では書けない。この戦争が三十年後に終わったことを知る一六四八年以降の人間にしか書けない文章なのである。つまり、理想的編年史には「三十年戦争は一六一八年に始まった」という文が抜け落ちている。

 この思考実験でダントーが言いたかったことは、歴史というものは、その時点においては、神でさえ認識できないものであり、ある出来事が持つ意味や、因果関係は、必ず「後になってから」分かるものだということである。

 例えば、「1993年、ワールドカップ・アジア最終予選の最後のロスタイムに、日本が失点して初出場を逃した」というのは編年史的な語りの範疇にある。この場合の編年史は、対戦成績など、記録のデータベースになるだろう。しかし、この出来事が後に「ドーハの悲劇」と呼ばれ、四年後の「ジョホールバルの歓喜」とセットにして語られれば、これは一つの歴史物語になる。しかし1993年の時点では、そのような歴史を誰も知らなかった。

 もう一つ、今度は野球の例を出せば、2006年の夏の甲子園におけるハンカチ王子と田中マー君の激闘という歴史的事実が持つ意味合いも、その後の球史の流れによって、日々刻々と変わっているわけである。

物語というインターフェース

 それで結局、理想的編年史のデータベースと、物語としての歴史と、どちらを「正しい歴史認識」と考えれば良いのだろうか。

 どちらが正しいと言うよりも、おそらく僕たち人間は、物語というインターフェースを通じてのみ、過去のデータベースにアクセスすることができる。つまり、歴史とは物語られざるをえないものなのだと思う