青空研究室

三ツ野陽介ブログ

[読書感想文]松竹伸幸著『集団的自衛権の深層』

 この本の書名が『集団的自衛権の真相』ではなく『深層』となっているのは、「この問題は、集団的自衛権に賛成か反対かという角度だけでみていては、深い理解に達することはできない」(p.15)という、著者の思いがこめられているのだと思う。

集団的自衛権の深層 (平凡社新書)

集団的自衛権の深層 (平凡社新書)

 

  実際のところ、集団的自衛権に賛成したり反対したりしている人は、自分が何に対してそうしているのか、本当に分かっているのだろうか。

  例えばそれに反対するある種の人は、安倍首相が日本をふたたび「戦争のできる国」にしようとしており、それは「戦前への逆行」だから良くないと言うのだが、集団的自衛権の容認は本当に、戦前への逆行になるのか。

 戦前の日本と言えば、アメリカと正面から戦争したわけだが、集団的自衛権を推し進める人たちの主要な目的は日米同盟の強化、対米追従であり、これはむしろ戦前とは真逆とも言えるだろう。

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 橋下徹市長がブイブイ言わせていたころに、「ハシズム」などと言って批判していた人たちにも同じことを感じたが、いちいち安倍さんをヒトラーになぞらたりするのは、レジスタンスに憧れる中二病的センスと思えてならない(「左翼小児病」という由緒正しい言葉もあるけれど - Wikipedia)。

 さて、一通り左翼を腐した後に、やっぱり集団的自衛権はいらないよねという方向で、さっき読み終わった『集団的自衛権の深層』という本を紹介していこうと思うのだが。

 安倍首相が設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の「報告書」においては、集団的自衛権が行使されるケースとして以下の四つのケースが想定されていたという。

(1)自衛隊の近くにいる米艦船が攻撃された場合

(2)米本土に向かうミサイルが発射された場合

(3)PKOで仲間の他国兵士が攻撃を受ける場合や任務遂行に必要な場合

(4)PKO等で武力行使と一体化した後方支援が必要な場合 (p.26)

 しかしまず、この四つのうち後者のふたつは、国連平和維持活動(PKO)の問題であって、集団的自衛権とは直接の関係がない。(……)集団的自衛権とは、国連として何らかの軍事的措置をとるという合意ができるまでの間、各々の国家が国連とは無縁に独自の立場で行使する権利のことである。 (p.27)

  この本の一番のキモは、「集団安全保障」と「集団的自衛権」を区別したうえで、集団的自衛権というものが、これからの時代に必要となるものであるどころか、むしろ冷戦時代の遺物であることを、示すことだと思う。

 要するに、集団的自衛権の容認は、戦前への逆行というよりも、冷戦時代への逆行と言ったほうが適切なのである。

 ここで、集団的自衛権と区別される集団安全保障とは、国連憲章が加盟国に武力行使を原則的に禁止したうえで、それでも武力行使が発生してしまった場合には、安保理が一致して対応するような体制のことである。

 つまり、加盟国みんなで秩序を保ったうえで、それでも和を乱すやつがいたら、みんなで対処するというのが集団安全保障の考え方なのであって、これは、軍事同盟の上に立脚する集団的自衛権の考え方とは異なる。

集団安全保障でいう「集団」というのは、複数などというものではなく、対立している国も含めすべての国が同じ機構をつくるというものである。国連はまさにそういうものである。アジアでもし集団安全保障機構ができるとすれば、アメリカや日本などだけでなく、中国や北朝鮮も含まなければ、そういう名称を使うことはできない。(……)

〔それに対して〕集団的自衛権というのは(……)軍事同盟のための考え方なのだ。数が単独でないことをもって、集団的自衛権と集団安全保障を同じものであるかのようにみせかけるのは、詐術といってもいいほどのものである。

 しかも、「報告書」の重大な問題は、集団的自衛権と集団安全保障を混同させることにより、集団的自衛権についてまで国際社会の理解がすすんでいるかのように描きだしていることである。(pp.45-46)

 このような区別に基づいて、本書の中盤は、集団的自衛権の概念が濫用されて、いくつかの戦争を引き起こしてきた冷戦時代の歴史を振り返り、さらに、冷戦終結後の湾岸戦争をきっかけとして、集団安全保障がただの建前でなくなり、集団的自衛権を乗り越えようとしている現状を、分析している。

 集団的自衛権を推し進める者は、しばしば「一国平和主義」を批判するが、その主張は実際には、「アメリカを助ける」という「二国平和主義」に過ぎず、中国をかつてのソ連に見立てた、冷戦的な軍事同盟の思考から抜けきれていない。

 いま必要とされるのは「同盟国が攻撃されたら助ける」という「二国平和主義」ではなく、「どんな国であれ侵略された国は助ける」という「グローバル平和主義」であるという主張で、本書は結ばれる。

 また、そこで著者は、危険は伴うものの「非武装・丸腰の軍人」だからこそ、紛争地域において停戦監視要員として大きな役割を果たせるとして、武力行使とはことなる、PKOへの日本の貢献のかたちを提案している。