青空研究室

三ツ野陽介ブログ

ありのままでモテない勇気と『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見 一郎、古賀 史健著)

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。(……)他者の期待など、満たす必要はないのです。(……)他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。(……)すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。(……)他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

(『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見 一郎、古賀 史健著)

   最近、と言うか、ピークは少し前だったのかもしれないけれど、『嫌われる勇気』という本がベストセラーになっている。僕が読んだのも少し前だったのだが、昨日一昨日のエントリーに書いたことと関係がありそうなので、この本について少し書いてみる。

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 「自由とは他者から嫌われることである」との言葉が帯にあるが、実際に中身を読んでみると、それはこの本のおもな主張の一つではあるけれど、全編そういうテーマについて書かれているわけではない。帯にこのフレーズを取り出して、『嫌われる勇気』というタイトルをつけた人(編集者?)が、商才があったということだろう。

 冒頭の引用は、「自由とは他者から嫌われることである」との主張が展開されている箇所を、本文から抜き出したものである。

 なぜこの本が売れたのか、という観点から考えてみると、『アナと雪の女王』のヒットと共通するものがありそうだ。

 つまり、他者からの承認、評価を気にかけず、嫌われてもいいから、ありのままの自分で自由に生きたい、というのが、今の時代に広く共有されている欲求なのである。

  昨日のエントリーでは、他者からの評価を気にかけずに我が道を行く、という力強い生き方は、誰にでも可能なわけではないだろう、という疑問を投げかけてみたのだが、しかし実際には、他者の承認を求めて振る舞ってばかりいる人間よりも、人から嫌われる可能性も織り込みながら、自信を持って振る舞う人間のほうが、結果的には、他者から高く評価される。そんな逆説的な事態も、ありがちなことではある。

 だからと言って、「そうか、他者から承認されるためにはむしろ、他者からの承認を気にしなければいいのか」と考えて振る舞ったりすると、結局、それは「嫌われる勇気」を持ってやっているのかどうか、話がこんがらがってくる。

 あるいは、「ああ、モテたいモテたい」と、どうやったらモテるのか考えてばかりいる人間よりも、「別に女にモテるとかどうでもいいし」と余裕を持って生きている人間のほうが、モテるということもあるだろう。だからと言って、「三次元女にモテるかなんてどうでもいい!自分は二次元の嫁と生きる!」と考えているオタクがモテるはずもないから、ありのままでモテるっていうのは、難しい。

 ところで、この本のなかで、もうひとつ『アナ雪』との共通点を感じさせたのは以下のような箇所だった。

 他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。(……)ほんとうに貢献感が持てているのなら、他者からの承認はいらなくなります。わざわざ他者から認めてもらうまでもなく、「私は誰かの役に立っている」と実感できているのですから。つまり、承認欲求にとらわれている人は、いまだ共同体感覚を持てておらず、自己受容や他者信頼、他者貢献ができていないのです。

 『アナと雪の女王』においても、最終的に他者からの愛によって、エルサの凍りついた心が溶けていくフェーズが印象に残りがちなのだが、自らの呪われた魔力を、共同体のために役立てていく術を見つけるシーンも、それに劣らず重要であったことを思い出すのである。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 
嫌われる勇気

嫌われる勇気