SEKAI NO OWARI「Dragon Night」と戦後日本
「セカオワのドラゲナイト」こと、SEKAI NO OWARIの「Dragon Night」は、最近のJ-POPではめずらしく、街を歩いていると自然と耳に入ってくる同時代ソングだと思う。
その中に、こんな歌詞があった。
人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ
ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
これは別にオリジナリティがあるわけじゃない、悪く言えばありがちな歌詞なんだけど、逆に言うと、日本の戦後サブカルチャーの基本的な倫理がここに示されているとも思う。戦後サブカルチャーの良質な部分、と言ってもいい。
ジオンにはジオンの正義があったり、人類の敵ベジータといつのまにか仲間になったり……。
イスラム国にはイスラム国の正義が?
ところで、紅白後に「Dragon Night」が盛んに流れていた時期と、イスラム国の人質事件が報道されていた時期が重なっていたので、この曲を聞いて事件を連想した人は多かったと思う。
僕があの人質事件で印象に残っているのは、あのとき「でも、イスラム国にはイスラム国なりの正義があるんだと思う」と意見を述べた人たちが、かなり叩かれていたことだった。
実際のところ、「ふざけるな!あんなものに正義なんかあるわけないだろ!」という主張のほうにずっと説得力を感じてしまうほど、あの人質事件はショッキングだった。絶対に分かり合えないと思ったし、分かりたくもないと思った。
でも、「人はそれぞれ正義があって」「僕の嫌いな彼にも彼なりの理由がある」という想像力は、そういう時にこそ試されるのだと思う。
平和な時代に、そのように歌うのは簡単だったのだ。
僕たちの戦後倫理はこれまで、本当に試されたものではなかった。