青空研究室

三ツ野陽介ブログ

中二病でも哲学がしたい!

 最近、二冊の哲学入門書をAmazonで注文した。

 『ソフィーの世界』と、池田晶子さんの『14歳からの哲学』。

  前者は20年前に凄く売れた本で、後者は10年ぐらい前に結構売れた本である。

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 

  話題になっていた当時、僕はすでに文学や哲学に興味があったのだから、読んでいてもおかしくなかった本なのだが、今回初めて手に取った。

 こういった哲学入門書、特に、「研究者」でない人が書いた入門書を、インチキ本として決め付ける風潮(あんなの哲学じゃない!)は、一理ないと思っている僕ではあるけれども、生意気だった頃の僕の自意識は、『ソフィーの世界』を読むのはさすがに恥ずかしいと感じていたらしい。ほんと、ベストセラーだったからな。

 今回この二冊の本を注文したのは、今週からまた、おもに新入生向けの入門的な哲学の授業をするので、参考になるかと思ったからである。これを読んだら何か、若いもんがハアハアするようなことを言えるようになるんじゃないか、と。

 どちらもまだ頭のほうしか読んでないけど、パラパラ眺めてみると、もっと早く、十代の頃に読みたかったな、と思えた。

 池田晶子さんの本は14歳の「君」に語りかけるという文体だし、ソフィーは14歳の少女という設定だ。

 これは、本来は難しい哲学の議論を、レベルの低い14歳のアタマにも分かるように語る、ということではないと思う。そうではなくて、哲学というものにそもそも、中二病的なところがあるのだ。

親愛なるソフィー、あなたは今、選ばなければならない。ソフィーは、まだ世界に「なれっこ」になっていない子どもかな? それとも、なれっこになどぜったいにならないと誓って言える哲学者かな?(ヨースタイン・ ゴルデル『ソフィーの世界』)

 つまり、哲学という中二病は、この世界にどうしても「なれっこ」になれず、不可視境界線の向こう側に目を向けてしまうという病気なのである。その意味では、14歳に向かって語りかけるという語り口は、根本的な哲学的態度なのだと思う。 

 僕自身はどうだろう?「なれっこになどぜったいにならないと誓って言える哲学者」なのか?

 正直言って、僕もまた、自分が少しずつ世界に「なれっこ」になってきているのを感じる。

 大学一年生ぐらいだと、まだまだ中二病が快癒してない人も多いと思うので、彼らに語りかけながら、教室でそのウィルスに感染したいなと思う。

 そして僕は、文を書き、ものを考えるときにはいつでも、「14歳に向かって書く」という態度を、どこかで持ち続けたい。