青空研究室

三ツ野陽介ブログ

反戦平和に憧れて

 中二病だった頃の、僕の願望は、とりあえず、まず1999年にノストラダムス的な世界戦争が起きてほしい、ということだった。

 そういう戦争が起きたら、兵士として戦いたかったのか、というと、そんなことはなく、「反戦運動」というものに憧れていた。1999年と言えば僕は大学生になっているはずだから、そうなったら憧れの学生運動みたいなことができるかもしれない、などと思っていた。

 「ああ、僕も平和のために闘いたいなあ。そのためにも戦争起きないかな」というのが、僕が中二のときに考えていたことである。

 大人でも、基本的に左翼の人たちは、「軍靴の足音」が聞こえてくると、元気になる。反戦平和という分かりやすい正義のために闘うことができるからだ。

 しかし、平和ってそんなに分かりやすいだろうか。

 ある政治的判断に対して、反対や賛成を言う以前に、僕はただ「分からない」と口ごもってしまう。

 そして、自信満々に大声で政治的な主張をする人を、不審な目で見てしまう。この人たちは、本当に戦争や平和を分かっているんだろうか。

 それにしても、いったいいつから僕は、こんなシニシズムに冒されてしまったのだろう。