「自分たちのサッカー」とロマン主義 日本サッカー敗戦記2014
オクスフォードの哲学者アイザイア・バーリンによれば、18世紀の終わり頃、ヨーロッパに現れたロマン主義者たちは、「失敗は何かまやかしで卑俗さをもつ成功より高貴であると信じていた」のだという。「一八二〇年代までに、あなた方は、精神態度、動機を帰結よりも重要であるとし、意図を結果よりも重大であるとする観念を見出す」。
要するに、結果の良さよりも動機の純粋さを重んじる姿勢、自らの信じる主義に対する首尾一貫した態度。こういったものを、ロマン主義の特徴として数えることができるだろう。
バーリンは、18世紀ロマン主義の思想家として、特にヘルダーを重要視し、その思想を「表現主義」と名付けている。
ヘルダーは、人間の根本的な働きの一つは表現すること、語ることであり、それ故、人間がなすことは何であれ彼の全性質を表現している、と信じた。
ヘルダーの根本的な確信はこうしたものであった。各人は自らを表現することを望んで、言葉を用いる。言葉は彼の考案物でなく、ある種伝統的なイメージの継承された流れにおいてすでに彼のうちに入り込んでいる。この流れはそれ自体、自らを表現する他の人々によって培われてきたものである。
サッカー日本代表チームの根本的な確信も、こうしたものであったのだろう。各選手は自らを表現することを望んで、「自分たちのサッカー」を試みる。その「自分たちのサッカー」は、現代表メンバーの考案物でなく、ある種、日本サッカーの伝統のなかで継承された流れにおいてすでに選手達のうちに入り込んでいる。この流れはそれ自体、自らを表現する他の選手達によって培われてきたものである。それが「自分たちのサッカー」「日本らしいサッカー」なのだ。
いつの頃からか、サッカージャーナリズムにおいて、「ピッチの上で自らを表現する」という言い回しが、よく用いられるようになった。サッカーは戦争の比喩であることをやめて、ある種の自己表現として語られるようになったのである。
僕の記憶では、サッカー日本代表が「日本らしいサッカー」というものを標榜し始めたのは、オシム監督時代のことである。
加茂-岡田時代を除けば、日本代表はそのときまで、オフト、ファルカン、トルシエ、ジーコの順に、ヨーロッパ出身監督とブラジル人監督を交互に就任させていた。ヨーロッパスタイルを目指すのか、南米スタイルを目指すのかということが、日本サッカーの方向性についての、もっとも素朴な選択肢だったのだ。
ジーコジャパン惨敗後、ヨーロッパの組織的なサッカーを再び日本代表に吹き込むことを期待されたオシム監督は、就任時に「私は日本代表を「日本化」させる」と宣言し、日本人を驚かせた。そのときまで日本人は、日本代表を「ヨーロッパ化」させたり「南米化」させたりすることしか考えていなかったのだ。
オシムは著書のなかで、以下のように当時のことを振り返っている。
最初にやるべきことは、日本代表を「日本化」させることだ。日本の特長を最大限に引き出した、世界に類をみないオリジナルで攻撃的なサッカーをしようと、私は誓った。
私が日本代表監督時代にやろうとしたのは、日本人の特性を活かした「日本人のサッカー」である。
考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
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二〇〇七年にオシムが脳梗塞で倒れて以来、日本代表はずっとオシムが残した宿題に取り組み続けてきたと言える。日本人のサッカーとは何なのか。自分たちのサッカーとは何なのか。
本田圭佑をはじめとする今回の代表チームの中心メンバーの何人かは、この問題の答えについて、何らかの確信を持ってW杯にのぞんだようである。しかし、その答案用紙は、二つのバツと一つのサンカクがつけられて、返却された。そして彼らは「自分たちのサッカーができなかった」と言ったのである。
この大会の後、日本代表チームはロマン主義を捨て、リアリズムと合理主義に傾き、「自分たちのサッカー」を求めることをやめるのだろうか。「ピッチのうえで自らを表現すること」を断念し、ワールドカップを「国と国との戦争」と捉え、勝負に徹するようになるのだろうか。
僕にはどうも、そうは思えない。
なぜなら彼らは、この人生に「勝つ」ことよりも、自分らしく生きることを求める、今日の日本人の代表だから。
自分らしく生きたいと願いながら、その「自分らしさ」の中身さえよく分かっておらず、いつまでもその答えを探し続けてしまう、僕たちの代表だから。